兎追いし

 総悟がその男について行ったのは、そろそろ決着をつけよう、そう思ったからだ。
 ミツバにつきまとう男はすべからく敵だが、その中でも妙にイヤな印象を受ける。一刻も早く姉の周囲から存在を消したい、そう思っていただけに、男からの呼び出しは願ってもないものだった。腕には覚えがあり、道場では最近負けなしが続いていただけに、身の危険など全く感じなかった。
 村はずれの神社の裏へは、率先して歩いた。ミツバに知られないよう、かたを付けなければ、そればかり考えて。
 だから、
「総悟くん、好きだぁーっ!」
 と、抱きつかれたとき、とっさに対応できなかった。
 予想外の出来事に、総悟は完全にフリーズしてしまった。
「初めて見たときから、なんて可愛い子なんだろうって思ってた。ずっと好きだったんだ」
「ずずずずずっと!? …え? あれ? あ、姉上じゃないの…!?」
 パニックを起こした総悟は、気絶寸前だ。
 それを無抵抗と感じた男は、図に乗って、総悟を地面に押し倒した。
「いてェ!」
 大人の男にのしかかられた総悟は、慌てて逃れようとした。剣の腕ではけして後れをとらないのに、まだ十三歳の子供の力では全く歯がたたない。
「どけ、バカヤロー、ヘンタイの淫行ヤロー!!」
 口汚く罵るが、男は意に介さなかった。こんな機会が二度あるとは思えないため、行き着くところまでいってしまうつもりなのだ。なにより、力ずくで押し倒した総悟は、やわらかくて可愛くて、男の理性を粉々にしてしまった。
「ヘンタイで結構。…総悟くん……」
 迫りくる唇を手で押しのけようとするが、必死の抵抗なのに、片手で押さえ込まれてしまう。総悟は真剣に泣きが入った。
「うぅ〜、こ、近藤さんーっ!!」
 とっさに叫ぶ。
 そのとたん、視界から男が消え去り、押しかかっていた重みもなくなった。
 半泣きの総悟が半身を起こすと、苦々しい顔つきを隠そうともしない土方が、木刀を持って立っていた。
 どんな技を使ったのか、男はかなり離れたところで悶絶している。
「………なんで」
 あまりにもショックが強くて、総悟はつくろうことができない。ポロリと零れてしまった涙を、慌てて袖でぬぐった。
「とっさに叫ぶのは、近藤さんの名前なんだな」
 抑揚のない声で言われ、総悟はカッとなった。
「ほかに頼りになる人いねェだろ!」
 土方はすこし視線をずらした。
「他人の名前を叫ばれての登場じゃ、カッコつかねェだろーが」
「し、知ったこっちゃねーよ!」
 勝手な言い草に腹が立つ。土方に掴みかかろうとした総悟は、自分が立てないことに気がついた。
「? 帰ろうぜ、沖田センパイ」
 嫌味な土方を心底殴ってやりたいが、でも、腰が抜けて立てなかった。
 土方はフッと笑った。女ならときめいただろうが、総悟は馬鹿にされたと感じる。
「センパイには刺激が強かったっスね」
「ぜんっぜん敬ってないのに、センパイ言うなよ、ハラたつ!」
「センパイ、抱っことおんぶ、どっちがいいスか?」
「選べねェ選択させんな!」
「楽なんでおんぶだな」
「タメ使われても、ハラたつ」
 唸る総悟だが、選択肢がないのも承知していた。いくら昏倒しているとはいえ、自分を襲った相手と置いてきぼりにされては困る。
 見かけよりずっと広く逞しい土方の背中にもたれた。軽々とおんぶされ、それがけっこうショックだった。自分は、思っている以上に、まだ子供なのだ。剣の腕はあがっても、敵わないことがあるのだ。
「沖田センパイは、自分が人からどう見られてるか、もう少し考えたほうがいいスよ。第一印象で剣の達人だって分かってもらえるのは、相手も相当の手誰のときだけなんスから」
 確かに、自分の容姿は人に威圧感を与えるものではない。なめられるのがイヤで強くなったのに、それでも舐められるなら、どうしたらいいのか。
「センパイは見た目が異常に可愛いんだよ。そこ自覚してないと、今日以上に危ない目にあうぞ。……って、オイ、聞いてンのかよ、アンタ」
「あァ? なんだウッセーな。考え事してんだよ、……ぎゃ!!」
 急に手を離され、総悟は尻餅をついた。
「なにすンだ、コノヤロー!」
 土方に掴みかかる。
「ショック療法」
 シレっと言われて、総悟は怒髪天を突いた。
「お前みたいなのは絶対姉上にふさわしくない! 俺は認めねェ」
 真剣に言う総悟を見下ろして、土方は吹きだした。
「今のセンパイがそう言って吠えかかったら、大抵の男は『姉ラブのなんつー可愛い子だ』って思うだろーよ」
「こんの、ヤロ―― っ!!」
「うお!」
 斬りかかった総悟の刀を、土方は木刀で払った。が、木刀の長さは半分になっている。
「ちょ!! 恩人に斬りかかるたァどーいう育ちかたしてんだ!」
「姉上を愚弄するな!」
「そりゃそーだ。……訂正する、どんな性格してんだ、だな」
 小馬鹿にした言いかたに腹は立つが、土方がただの嫌みな優男ではないこと、それを認めないわけにはいかなかった。どうにもつかみ所がなくて、今の総悟の手には余るけれど。
「いつかてめェの鼻面をかきまわしてやる」
「なんか言ったか?」
 身長差の分だけ歩幅は違う。ずんずん先に行く土方には、総悟のつぶやきは聞こえなかったようだ。
 それでいい、と、十三の沖田は口元に笑みをつくった。